-Uri Column- / Comics


Domu。

先日、「以前・以後」の分岐点となるものがあるという話をしました。その時、「マンガでいえば手塚治虫以前と手塚治虫以後に分けられる」と書きましたが、日本のマンガ史はいまひとつの分岐点をもつ幸運に恵まれていました。

大友克洋以前・大友克洋以後、です。

大友克洋という作家については、いまさら説明するまでもないでしょう。ご存知『AKIRA』というとんでもない作品を描いた、あの大友克洋です。

氏の作品には、ディティールへのこだわりという一面があるのは言を俟ちません。たとえば老人の顔のシミ、子供が着ている服の崩れ方、額をつたう冷や汗、立ち上る煙、ビルの壁に並ぶ数百枚の窓など、一コマに描き込まれるパーツの数と完成度は氏ならではの細密性をもっています。ただし、それはリアリズムといった方面の芸術性とは微妙にベクトルを違えた、マンガとしての枠組みを逸脱しない記号的な細密性ともいうべきデフォルメが施されています。

氏の細密性は、背景や構図にも投影されています。壁に書かれた落書きは、正面から描かれたコマも俯瞰的に描かれたコマも、同じ場所に同じ落書きとして存在したままです。つまり、コマの視点が変化してもコマの中に描かれているパーツは厳として一点に存在しています。あたかも3Dソフトで作成された世界の中をカメラが動き回るような、一種の浮遊感を読者に持たせる役割を果たしているかのようです。

先ほど、日本のマンガ史の分岐点として「大友克洋以前・大友克洋以後」と書きました。けれどその分岐点はさらにピンポイントとして指定することが可能です。

もちろん、「『童夢』以前・『童夢』以後」、です。

『童夢』を初めて読んだときに起こった身震いは、いまだに忘れられない原体験として記憶に染みついています。氏は、マンガのコマという空間世界に暗黙裡に存在していた重力というルールを、軽々と(文字通り)飛び越えてしまいました。

もちろんそれ以前にも重力を無視した構図や設定や作品世界がなかったわけではないでしょう。けれど読者の視点は常に重力場に存在するという前提があったように思えます。つまり、コマの中では無重力であっても、それを眺める読者の視点はあくまでも重力世界にありました。

けれど氏は『童夢』で、読者の視点までも重力から開放してしまったのです。

俯瞰やアオリなど構図の目まぐるしい転換という難度の高い構成を支えたのは、逆にどれだけ視点が変わっても厳として存在する基準点を作者が持ち続けたからではないでしょうか。

その他にも、壁の割れ方や瓦礫の崩れ方に見られる表現方法の創出、緻密に背景が掻き込まれたコマと敢えて空白のまま背景を一切描かないコマとの対象など、『童夢』には当時としては斬新な試みがいくつもちりばめられています。ただしそれらは他者にとって試みと感じられるだけであり、作者にとってはおそらく自ら蓄積し確立した方法論の表出だったのかもしれません。

『童夢』という作品は、オーバーにいえば世界のマンガの潮流に大きな変化を与えた分水嶺だったように思えてなりません。

Last Update : 2002/06/14

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