-Uri Column- / Comics


『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』


『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』1〜26
ゆうきまさみ/小学館・少年サンデーコミックス


ゆうきまさみという作家は、もともと「器用」「そつがない」と評してもいいくらい、いわゆる“きっちり感”を持っており、絵のタッチ、ストーリー展開、作品世界の設定、登場人物の描写など、あらゆる部分で極めて完成度の高いまとまりを表現することができる、数少ない作家である。

また、氏の作品を俯瞰して思い知らされるのは、その挑戦性とも言える作風の変化にある。
本格的な少年誌での初連載(いわゆる出世作)であるドタバタコメディ『究極超人あ〜る』、押井守氏によって映画化・ビデオ化され圧倒的な人気を獲得した『起動警察パトレイバー』、そして良質な恋愛ファミリードラマという、少年誌でも難しい分野で成功した本作『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』など、一作ごとに前作とはまったく違う分野を世に出してきた。
これは俗に言う「いい意味での読者への裏切り」であり、同時に次回作への期待につながる非常に重要な方向性とも言える。

というのも、警察機構の実際や企業間の競争、メカニズムに対する徹底してリアルな設定などそれまでの「ロボットマンガ」では描かれなかったディティールをごく自然に描写して、さらに「ロボットどうしの対決」という黄金パターンを見事に描ききった『起動警察パトレイバー』にハマった一読者としては、いきなりパストラルな日常をベースにおいた『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の連載に、大きなとまどいを持ってしまったからである。

正直に言うと、初見したときは本作で描かれる「ありふれた日常ドラマ」に多少失望した。
そこには『究極超人あ〜る』のような腰を抜かす程の笑いもなければ、『起動警察パトレイバー』のような頭脳戦やダイナミックさもなく、ただただ北海道日高地方の馬産牧場の毎日が淡々と描かれるだけであり、敢えて言えば「おとなしい作品」としてしか認識できなかったのである。
ところが、これが作者の「罠」だった。

ざっとあらすじ。
北海道日高地方をバイク旅行で訪れた高校生・久世駿平がひょんなことから「渡会牧場」に世話になり、やがて高校を中退して「ダービー馬をつくる」という目標をかなえるために、牧童として新たな人生を歩みはじめる。
渡会牧場には四人の姉妹がおり、駿平はその中の次女ひびきに恋する。が、そこに超大手馬産牧場「醍醐ファーム」の末息子・醍醐悟や渡会牧場の三女たづな、長女あぶみが絡んで三角・四角・五画関係、さらには親子のすれ違いなどがドタバタと、また時にシリアスに展開する。
それらを横軸としつつ、縦軸にはいい馬をつくるという大目標に向かって試行錯誤する渡会牧場の苦労や葛藤、弱小牧場であることの限界など社会的背景が一本筋を通しており、肉厚な読み応えを支える要素となっている。

ここで着目すべきは、まずゆうきまさみ氏にとって初の「本格純愛ドラマ」であること。
氏のこれまでの作品で恋愛を真正面から取り扱った作品は、不思議なことに、ない。
同人誌の、それもパロディ系出身の作者としては、恋愛ものを描くまでに十数年の歳月を必要としたのか、あるいはただ単純にその路線を狙わなかっただけなのかはわからない。けれど少なくとも氏は未知の分野に挑戦し、そして成功した。

あらすじでも述べたように、主軸は駿平とひびきの恋愛がテーマとなっている。もちろんそれだけではドラマとして成立しにくいので、いわゆる「お邪魔キャラ」として醍醐悟、渡会たづなが登場する。ただし単なるお邪魔者としてではなく、それぞれの立場に立ってそれぞれの恋愛をきちんと追いかけているところが、「そつのない」作家としての真骨頂かもしれない。

ただし、後半は展開しすぎの観があり、それを是とするか否とするかで本作品に対する評価も大きく変わるだろう。
ちなみに筆者は是とする。つまり、今までの恋愛ものの範疇を越えようとしたところに、作者の「挑戦」を認めるからである。
(ただし、現代という時代性を考えるなら、単に「恋愛が成就するだけ」のハッピー・エンディングでは、読者のシンパシィを得るのは難しいという判断があったのかもしれない)

敢えて難点を挙げるならば、終盤ひびきのキャラクターが“沈んで”しまっていること。
ストーリーの展開上やむを得ないとはいえ、ある一点を境にそれまでのひびき像がまったく変わってしまうのは、やはり残念である。

次に、親子関係を省略せずに作中に織り込む神経の細やかさを評価したい。
恋愛ものにおいては、いきおい「親」は邪魔な存在もしくは無視する存在もしくは逃げ込む存在など、往々にしてご都合的な存在として描かれることが多い。
が、本作品においては駿平の両親、ひびきの両親をはじめ、すべての主要人物における親子関係を(またも)きちんと存在させている。このあたりは、やはり氏のリアリティへのこだわりであろうか。
登場する親たちは、息子や娘と葛藤し、喧嘩し、あるいは見くびり、そして理解し合う。
単なる恋愛ものとして片付けるわけにはいかない重層さを演出する役割として、親はしっかりとその機能を果たしていると言えよう。

さらに、「牧場経営」を通して作中に社会的な視座を設定したのも、作者の手柄である。
中小もしくは零細牧場の苦労、内国産馬と外国産馬の対比、さらには馬産牧場を「賭け」としか認識できないエリートサラリーマンとの相克から、果ては従業員の給料まで、とにかく牧場という舞台について徹底的にディテールを追究して設定する。これはもう作者の力量というほかないであろう。

特に“馬”を生物と見るか商品と見るか、という「対象線」を挟んだ駿平のロマンチシズムとひびきのリアリズムは、同時に我々一般人と牧場経営当事者の視点をそれぞれ代弁しつつ作中で議論(時として激論)され、北海道の大地と大空にただ憧れるだけの一般人を打ちのめす。

ともすれば無視しがちなこれら社会的な背景を、うまく作中世界に融和させるという手法(というよりも作風)は、じつは作者にとって“お手の物”なのである。

特にそれは前作『起動警察パトレイバー』において顕著である。
たとえばシャフトエンタープライズや篠原重工の「企業間競争」、あるいは“廃棄物13号騒動”による株価低迷への言及(普通そこまで描く?)など、我々が生きている日常の場としての社会を作中に再現することによって、読者から作品世界への違和感を取り除く手法は、最近でこそ珍しくはないとはいえ、やはりその“さりげなさ”は一流と言える。

総じて、本作品に登場する主要人物はすべて「不器用」である。それは恋愛だけにとどまらず、生き方や夢への近づき方、他者への接し方など、いろんな意味での不器用であり、だからこそそれら人物の“成長”を描くことができるのである。

それは、親として登場する「大人達」も例外ではない。我が子とのコミュニケーションに悩み、あるいはコミュニケーションの喪失にとまどい、けれど子供の成長とともに親もまた成長し、理解する。

と、このような感想を持つことができるのも、実は本作が「大人が読むマンガ」として描かれているからだと感じられてならない。
つまり、登場人物と同年代(=18〜20歳くらい)の読者には、おそらく「わからない」部分が多いと思われるからである。
若いときに見る夢。それを阻む現実。異性とのつき合い方。そういった人生経験をある程度踏まえた読者が本作品を読んだとき、「そうそう、これくらいの年って、こんなんなんだよな」と懐古の情に包まれ、それがまた作品世界への愛着を生む仕掛けになっているのではないだろうか。
ただしこれは、あくまでも筆者の「感想」である。

これら幾重にも張り巡らされた作者の「罠」に、自覚を持ったまま落ちていく快感はまぎれもなく読者の特権である。
その「罠」を表情豊かに描くゆうきまさみ氏の描線は、繊細でしかも力強い。

蛇足1.
本作『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』と高橋留美子作『めぞん一刻』との類似性については、すでにあちこちのサイトで論じられているところであり、かつ筆者は『めぞん一刻』を15年前に一度通読しただけなので敢えて言及しない。
ただ、醍醐という名前はやはり「五代」からのパスティーシュと思われること、また渡会四姉妹のうち三人までが「あぶみ・たづな・ひづめ」と馬具に由来した名前なのにヒロイン(?)である次女のみ「ひびき」であること(これはもちろん音無“響子”さんの本歌取)、ひびきの母親が“千草”であること、ひびきやあぶみが「piyo piyo」のエプロンをしていることなどから、本作はまず間違いなく『めぞん一刻』へのオマージュ的作品と位置づけても良い。

蛇足2.
作者のディティールへのこだわりは、作中に描かれる「風景」にも散見される。つまり、かなり正確に静内市街を再現している。
これについては「じゃじゃ馬グルーミンMAP」というサイトが、作中に登場する「場所」を検証、実際の風景写真と比較している。とても参考になる。
「じゃじゃ馬グルーミンMAP」
http://www5.ocn.ne.jp/〜hmo4rice/jajauma.html


蛇足3.
ゆうきまさみ氏公式サイト
「ゆうきまさみのにげちゃだめかな? 」
http://www.yukimasami.com/

Last Update : 2001/08/06

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