-Uri Column- / Misc


NIPPON-Cha-cha-cha!

ご多分に洩れず、瓜生も昨日は熱くなりました。

ヨメさんが午後、仕事に行くときに帰りが遅くなるか聞いたら、「うん、わからない。でも日本の試合は見たい」と言い残して出かけていきました。

晩ご飯に邪魔されたくなかったので、2合だけ炊いた白飯に花かつおをぶっかけて掻き込んで腹を満たし、試合開始時には万全の体勢でテレビの前に寝っ転がりました。

ヨメさんが帰ってくる前に、ゴールが決まりました。瓜生、テレビの前で一人で「うぉー」と叫んでしまっていました。

それからしばらくしてヨメさんが帰ってきたとき、おかえりも言わずに「日本が勝ってる」と大きな声を出したのは言うまでもありません。

残り時間が少なくなるにつれて、ハラハラドキドキが大きくなりました。脳裏にはやっぱり、「ドーハの悲劇」がちらついていたからだと思います。

サッカーのことについてはあまり詳しくないのでなにも語れませんが、そんな瓜生でも夢中になって応援してしまうくらいのパワーを、サッカーのワールドカップは持っているんだと思うと、なんだか不思議な感じがします。

サッカーがおもしろいのかと問われると、答えに窮します。確かに面白いけれど、でも日頃はJリーグを見ることもありません。代表選手にしても、名前と顔が一致するのは中田と中山と小野と森島、川口に秋田くらいですから。

でも、それでも日本を応援し、日本が勝つと舞い上がってしまう。そこにはアメリカの大リーグでがんばっているイチローや新庄のニュースをついつい見てしまう心理と同じものがあるように思います。

一つ、あれ?と思ったのは、テレビの画面にたくさん登場した日本の国旗でした。そして、試合開始前に胸を押さえながら国家を口ずさむ日本選手の顔でした。

国家と国旗に関しては、ずっと以前からさまざまな議論が交わされています。でも、オリンピックやワールドカップを前にすると、なぜかそんな議論は途端に色褪せてしまうように思えてなりません。

瓜生自身は難しい議論はわかりませんが、日本人が日本の国家や国旗を誇らしく思うという現象には、ただ単純に感情のレベルで同意します。

印象的だったのは、どこかの街で大騒ぎしている日本人を見たイタリアのテレビ局のレポーターが「ふだん抑え込んでいるんだから、これくらいのことはあった方がいい」といったコメントでした。

日本人だから日本を応援する。そのおそらくプリミティブと言ってもいい心の作用は、きっと健全なものなんだと思います。と言っても、けが人が出てしまうのは論外ですが。

こんなことを考えたのも、司馬遼太郎の一文がずっと胸の片隅にあったからだと思います。この機会に、少し長くなりますが引用させていただきます。

 ナショナリズムというのは、民族主義とか国民、国家主義といったふうに、社会科学の用語として使われるばあい、あまりに輪郭が鮮明すぎてミもフタもなくなるが、本来ナショナリズムとはごく心情的なもので、どういう人間の感情にも濃淡の差こそあれ、それはある。
 自分の属している村が、隣村の者からそしられたときに猛然とおこる感情がそれで、それ以上に複雑なものではないにしても、しかし人間の集団が他の集団に対抗するときにおこす大きなエネルギーの源にはこの感情がある。
 この心情の濃淡は知性とは無関係で、多分に気質的なものであろう。
『花神』上巻/司馬遼太郎/新潮文庫

Last Update : 2002/06/10

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