-Uri Column- / Misc


Oh, My God.

神が与えたもうたものは、隣人への愛と無差別の殺人のみなりき。

ギリシャ神話の神々も、八百万の神々も、有り体に言ってしまえば人間のカリカチュアなワケで、酒も飲めば姦淫もする、嫉妬に狂うし挙げ句には残酷な仕打ちまで用意している。たった一つ人間と違うのは、自然を(ある程度)思い通りに操るチョーノーリョクだけ。

ところがそんな神々に引導を渡した人たちがいる。それはおそらく、被支配階級の人たちだったんだと思う。なぜこんなに苦しまなければならないのか。どんなに必死に働いても楽になるどころか、ますます辛くなるのか。“彼ら”はなぜ働かずに暮らせるのに、我々はなぜ働いても貧しいのか。“彼ら”はなぜ我々を殺すのか。我々が生まれたのはなぜか。我々が生きていかなければならないのはなぜか。なんのために苦しみ、もがき、のたうちまわらなければならないのか。

もちろん、そんなあまりにも現実的な懐疑に答えなど用意されているはずはなく、ただ生きるためだけに、生き延びるためだけに生きていた。

けれどそれじゃあんまり理不尽だ、って考えた人が生み出したのが、きっと“神”なんだろう。

苦しいのは、神が試しているから。いま苦しい人たちだけを、神は救おうとしているから。だから、今を耐えなさい。右の頬を叩かれたら左の頬を差し出しなさい、なんて、現実逃避の極端例まで持ち出して、完全な諦めをストイシズムにまで昇華させてしまったのだから、それだけで人類の知恵が生み出した神は偉大だと思う。

もちろん、それだけで“救い”なんてあるはずもなく、結局精神的な逃避先として受け入れられた人たちだけにメリットをもたらすシステムでしかなかった。というよりも、その程度のポテンシャルで完結していた。

そのうち、そんなネガティブな精神体質(と言ってしまったら身も蓋もないけれど)では現実がおっつかなくなってしまって、よりいっそうアクティブな思想に成長し、「ジハド」なんてラジカルな理屈に変身してしまった。

言ってしまえば、特に中東から西洋にかけて宗教がもたらしたものは戦争だけ、なんて極論が成立するくらい、神の御名のもとにおこなわれた殺戮は、ほぼ人類史の全域をカバーする。もちろん。現代も含めて。

かなり大雑把(という以前の低レベルではある)な展開になってしまったけれど、結局、なんだかんだややこしいことになっているのは、そもそも神の存在(イコール思想もしくはフィロソフィー)そのものがもともとややこしいものなんだから、それを現実レベルで追究するなんてある意味無茶なことと言えるのであって、信仰というオブラートに包んでそっと体内に取り込めばそれなりの効力を発揮するのに、いきなりイデオロギーなんて直截レベルに引き上げた時点で、結局は劇薬となりある意味で毒薬となってしまったのかもしれない。

神の子と呼ばれた哲学者の誕生日を前に、つまんないことを考えてしまった。

Last Update : 2003/12/01

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