-Uri Column- / Misc


無料といふ事

こんな記事を見つけました。

MS、無料メーリングリスト・サービスの停止を決定 (WIRED NEWS)

現在、インターネット上ではいろんな無料サービスがあります。
と書いているこの「うりだい!」も、「えんぴつ」という無料の日記サービスを利用しています。

無料サービスには、大きく分けて2つあります。

1.広告収入で賄っているもの、つまりビジネス。
2.個人もしくは企業の“好意”で提供されているもの、つまりボランティア。

そして今、「1.」の基本となるインターネット上の広告が見直されています。
これはアメリカだけでなく、日本国内でも同様の動きがあるようです。

バナー広告を出しては見たけれど、どれくらい効果があるのか疑問である。
社名や商品名、サービス名の露出はできるが、けっきょくクリックしてくれる人数は期待したほどではない。
むしろ最近では、広告を鬱陶しく思う人が増えてきて、マイナスイメージになりかねない。etc, etc...。

瓜生が思うに、もともとインターネットが広まった時って、基本的に「2.」のボランティア精神が大半を占めていた印象があります。
ボランティアという表現が適当でなければ、大阪弁で言うところの「おもしろがり」なノリ。

こんなんやったらおもろいで。
あんなことしたら受けるんちゃう?
なんかみんな喜んでくれてるし。

ところが、インターネットを利用する人が増えてくると、その「メディア性」が脚光を浴びます。
多いところでは一日に数万人も数十万人もの人がそのサイトを“見に”来る。
これはもう、ヘタに4大メディアを使うよりもターゲットにリーチすることができる絶好の広告媒体です。

で、当然の流れとして、いろんなサイトが広告を掲載し、その広告収入でサービスを維持・運営する。
その流れが、ここに来て見直されている、ということですね。

となると、「1.」の前提である広告収入が期待できなくなってしまうと、当然維持費や運営費が捻出できず、ビジネスとして成立しません。

そこで、冒頭の記事のようなことになっちゃうわけです。

「2.」の純然たる好意の元に運営されているものであればなおさら、提供者の負担の限界がおのずとあるはずで、その限界を超えたとき、もっといえば、たとえそれがサービスの提供者の“気まぐれ”であっても、利用者に「否や」は許されません。

無料で使っているということは、同時に「サービス提供者に文句を言えない」ということだと思います。

その基盤がビジネスであろうとボランティアであろうとおもしろがりであろうと、無料でサービスを利用させてもらう以上はその運営者の「考え・意向」に従わざるを得ない、と。

もし運営者の都合で突然サービスが停止したとしても、それに対してクレームをつけるのはお門違いですよね。
利用者は、そのサービスの基本がビジネスであっても好意であっても、無料で、つまり対価を支払うことなくベネフィット(利便性)を享受しているわけですから。

何を言いたいのかというと、

いつまでもあると思うな無料サービス

ってこと。

というのも、記事中に

かつて無料だったものに対してお金の支払いを要求されて不満を募らせる大勢のリストボット利用者

という表現がありますが、瓜生、「それってちょっと違うんちゃう?」って思ってしまったんです。

同様に、これも記事中にある

「もし価値のあるものなら、それに対してお金を出すことを覚悟すべきだ」

というどこかの教授のコメントについても、“覚悟”という一点において同意します。

一方で、たとえ無料であっても、サービスを提供している以上運営者としての「責任」が発生してるはずだ、という考え方もあります。
それはそれで難しい議論になるんですが、でも、やはり無料サービスを利用する以上、心のどこかで“覚悟”しながら(もちろん個人の好意によるものであれば“感謝”するのは当然ですが)利用するのもまた、利用者としての「責任」のように思えます。

極論になりますが、無料でサービスを利用できる状態こそが、きっと「ノーマルではない状態」なのではないでしょうか。
今のうちに、もう一度「無料とは何か」について思いを巡らせておくべきかもしれません。

Last Update : 2001/08/08

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