-Uri Column- / Movie


a twelve-tone life。

音楽は、時として人生を象徴する。
それは音楽が表現である以上に思想であり、感情であり、それ故にドラマ足りうるからかもしれない。

「シャイン」を見た。
実在するピアニストであるDevid Helfgottを描いたオーストラリア映画で、主演のジェフリー・ラッシュはアカデミー賞で主演男優賞を獲得したらしい。

映画の前半のテーマは、厳格で頑固で、家族に対してパラノイアとも言える偏愛を持ち、それ以上に自らの固定観念を信念と勘違いする父親に対するエディプス・コンプレックスであり、デビッド少年は才能を認められたことをきっかけとして、ついに父親と訣別する。
中盤、デビッドは奨学金で王立学校に通いながら“世界一難しい曲”である「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番」と対峙し、コンクールで“ピアノをねじ伏せる”ことによって曲を征服した瞬間、その代償であるかのようにステージで卒倒し、意識を失う。
そうして後半、精神を病んだデビッドが十数年の空白を経てピアノに触った瞬間、彼の人生はふたたび輝きを取り戻す、という、簡単に言ってしまえばそんな物語だ。

オーストラリア映画でピアノといえば、誰もが「ピアノ・レッスン」を思い浮かべるかもしれない。
「ピアノ・レッスン」では、主人公であるエイダを対比する象徴としてピアノという楽器が描かれている。
亞者であるエイダにとって、ピアノは自分に代わって自分を表現する唯一のツールであるとともに、運命に縛られて身動きができない悲運をも同時に体現している。
そんな自分の半身とも言えるピアノを現地での通訳(このハーベイ・カイテルがまたよかった!)に取り上げられたエイダは、彼とレッスン一回につき黒鍵一個を返してもらうという契約を交わす。これはもちろん、運命から自分自身を取り返すことを意味している。
映画の最後で、海に沈みゆくピアノがエイダにしがみつくように引きずり込もうとする演出はある意味見事で、エイダはピアノという運命からも解き放たれる(=自己束縛からの解放)瞬間をうまく表現していた。

「シャイン」と「ピアノ・レッスン」は、もちろんまったく違う映画ではある。が、一人の人生をピアノが、そしてピアノが奏でる音楽が象徴するというその一点で、同じモチーフを取り上げているのだと思う。

不思議なことに、「シャイン」も「ピアノ・レッスン」も、ともに“水のイメージ”が極めて多用されている。潔く白状すると、それがなにを意味するのかは、残念ながらよくわかっていない。あるいは「水」もまた、人生の象徴として描かれているのだろうか。

西洋音階(という言い方が正しいのかどうかはわからないけれど)には、たった12個の音しかない。けれどその12個の音の組み合わせだけで、古今の作曲家や演奏家たちはあらゆる思想と感情を表現してきた。言ってみれば、人生というドラマは12個の要素の組み合わせで成り立っているだけなのかもしれない。

ただ、その12個の要素がなになのか、は、一人ひとり違うのだろうけれど。

Last Update : 2002/08/17

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