-Uri Column- / Movie


千と千尋の神隠し。

昨日、あの「千と千尋の神隠し」を見てきました。
平日の夕方(4時20分からのん)だったので、たぶん空いてるやろなぁって思ったら大違い。映画館の中にはいるとまだ4時前だというのに数十人が列を作って並んでいました。子供連れは意外に少なかったけど、背広とスーツのアベックとかもいたりして「サボりデート」ばればれっすぅ。
(ちなみに映画が終わって晩の7時過ぎ。入り口の前にはすっごい行列ができていました。)

実は昨日、どうも「映画サービスデー」かなんかで、一律1,000円で見られる日だったみたいです。知らずに行ったので、すっごく得した気分になりました。

さて、映画を見た感想は、「こりゃぁ受けるわ」でした。

※ここから先は“ネタバレ”的な要素を含みますので、まだ見ていない方はご注意ください。




あちこちのサイトでも指摘されていますが、とにかく「今までの宮崎作品をホーフツとさせるシーンの連続」なんですね。ルパンやトトロ、もののけ姫に魔女の宅急便、ナウシカ、ラピュタ。あらゆる作品の名シーンオンパレード。
「あれ?このシーン、トトロのあの場面ちゃうのん?」とか「うん?これってもののけ姫のサンとモロ?」とか「うわ。パズーとシータ...」とか、とか、とか。ナウシカの土鬼皇弟みたいなのまで出てくるし。いわゆるファンサービスってヤツですね、きっと。

とりあえずそんなことは置いといて、この映画の言わんとするところを瓜生なりに考えてみました。

●労働なくしての生活はない。それが現実である。

小学生の千尋が、成り行きとは言え「雇用契約」によって労働せざるを得なくなる。これはもう、モラトリアムとの訣別を描いているわけですね。つまり、なんのことはない、我々の現実世界を、空想世界の形を借りて再現しているわけです。特に「帰りたい」「やめたい」という言葉が禁忌になっているという設定は、なんだか哀しいくらい現実でした。

●現実世界におけるアイデンティティの確保。

「サラリーマンという職業はありません」(だったっけ?)なんてコピーが昔ありましたが、我々はややもすると会社や世間、組織、団体に埋もれてしまいかねません。いわゆる「数のうち」になっちゃいかねない。だからどんな時でも、「自分」をしっかり持ってようね、っていうメッセージが、「名前をとられる」「ほんとうの名前を思い出す」という設定に込められているのではないでしょうか。

●仕事(=現実の日々)よりも大切なことがある。

映画全編を通して、千尋が働いているのは結局ほんのわずかしかありませんでした。ほとんどは、ハクのために駆け回っているんですね。目の前に差し出された砂金の山に見向きもせず。雇用主の叱責を気にもせず。
じゃぁ「ハク」とはなにか。それは千尋にとっての「原点」なのかもしれません。子供の頃に遊んだノスタルジーへの回帰は、つまり自分の出発点を見直す(あるいは発見する)ことにつながります。それは同時に、前述した「アイデンティティの確保」に不可欠なものでもあります。
日々の仕事に追われて忘れてしまいがちなもの、後回しにしてしまっていること。実はそれこそが大切なものなんだ、っていうことなのかもしれません。

まぁざっと以上のようなコトを感じました。ストーリー自体はとてもわかりやすいんですが、それは逆に“薄さ”を印象づけることにもなりました。
でも「かつて10才だった人達と、これから10才になる人達」の双方が楽しめるギリギリのラインかな、と考えれば、まぁヨシとしなければならないでしょう。

最後にこれだけは言わせてもらうぞ!
ハクって絶対、塔○ア○ラだよねー!

Last Update : 2001/10/04

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